いつも閉ざされた扉。古ぼけているものの、どこか不思議な雰囲気の家。
広々とした木々に囲まれて静かに時を刻む庭。
ベンチの側には、古ぼけた看板に薄っすらと見える「休診」の文字。
天使の住む家。さあ、その扉を今―――――・・・!!
「なによ!! あんな家!! こっちから願い下げよ!!」
そう強く思っても、どんなにあの家から逃げようと思っても、自分に行くところなどあるはずはない。
いつも一緒にいる学校の友達だって、当てにならないことだってある。
今、友人を頼っても、きっとすぐに見つかってしまう。
逃げ出せる場所。誰にも見つからなくて、あの家から遠いところ。
そんな風に考えるだけ無駄だった。
それでも、あがきたくて、逃げ出したくて、必死で駆けてきた。
木々の間の揺らめきに引かれたのかもしれない。
ふとその側のベンチで一休みした。
「大丈夫、大丈夫。まだ見つかりっこない」
そう言い聞かせないと恐くて仕方なかった。
そして、何度目か辺りを見渡して人影がないことを十二分に確認する。
「ふぅ…」
深いため息をついて目を閉じた。
心地いい。
「気持ちがいい風ね」
それは自分の心の声…のはずだった。あまりにもタイミングがよかったので。
だから、目をすぐに開けずただぼぅっとしていた。
次の瞬間悲鳴を上げた。
もっとも、驚いたのは、除き込んだ人物も同じだったらしい。
目を真ん丸くして、口元に白魚のような手をあてている。
「あ…、ごめんなさい…」
素直に謝った。いくら唐突だったとはいえ、初対面の人間に対してあまりに失礼だった。
だが、その淡い衣服をまとった女性は、いいえ とにっこりを微笑みを返してこう言った。
「どうぞ、お上がりになって。お紅茶でもいかが?」
部屋の中は、すっきりとしていた。だが、そこにある雰囲気は診察室に似ていた。
だが、普通の診察室と違って、なぜか心を温かくするぬくもりが、確かに存在している。
看護婦に似た女性は、にっこりと美しい笑みを絶やさぬまま、優雅な手つきで紅茶をカップに注いだ。
「どうぞ」
と言われる。そこに浮かぶ姿は、天使のようだった。
そう思ったものの、素直に感想にするには少々照れくさかった。
「ありがとう…」
消え入りそうな声なのに、天使は優しくまた笑うだけであった。
あたたかい…
紅茶はもちろん、その中に含まれる優しさが。この部屋の空気が。そして目の前の女性が。
こんな気持ちは一体何年ぶりだろう?
もしかすると、初めてかもしれない。
こんなぬくもりに触れる機会が自分には、無かったのだ。と同時に落胆もした。
そんな自分の顔は、大層おかしかっただろう。
何しろ、正直な感情のせいで、表情もまるで百面相だ。
バツが悪そうに、再びカップに口をつけて、隠そうとした。
しかし、それすらもためらわせた。そんな何かがある。
「私……、本当は踊りなんてやりたくないの」
自分の気持ち。今まで誰にも言わず、不器用ながらも必死に隠してきた。
それを、初対面の人間に話す戸惑いはもちろんあった。
あったが、聞いてもらいたいという気持ちが勝った。
こんなことは初めてだ。
「本当は、もっとやりたいことがいっぱいあるのに…」
しきたりで縛られた家。それを守り続ける家族。それが悪いことだとは言わない。
それだって、立派な生き方だ。ただ、それをどうして自分にも押し付けるのだろう?
唐突なそんな話しも、真面目に聞いてくれた。
なぜか、ほっとする。
天使は、すぐにふわっと立ちあがると、ちょっと待っていて、と言い残して部屋を去った。
少し、びっくりした。
気を悪くさせただろうか?
いきなりあんな話しをされたら、自分だって困るだろう。
自分も人を強要させてしまったのかもしれない、と思うと無償に自分の行為を呪った。
そんな不幸を一心に背負った心を、扉の開く音が亀裂を入れた。
手には、白いキャンバスを持ったあの優しい天使が立っていた。
それをいきなり、渡すとこう言った。
「色を塗ってみて」
正直絵など、まともに描いたことなどない。戸惑った。それに、ここには絵の具もない。
「いいのよ、ただ好きなように色を塗ってくれれば。あなたが思うだけでいいの」
彼女は、自分に何をさせたいのか、さっぱりわからなかった。
でも、まあ思うくらいならいいか、と軽い気持ちで頷いた。
白いキャンバスには、薄っすらと淡い水色がいい…それから、そうだ…この人のような優しい色…
思うだけで、キャンバスには次々とその姿を変えた。
「これ………」
絶句してしまった。魔法? いや手品か?
「あなたは、あなたの『色』を持っているわ。こんなに素敵なたくさんの色…。
これは全てあなただけの『特別な色』だわ」
目を見張った。この人は―――――・・・!!
「あなたは、あなたのために、あなたの色を塗りつづけるの。素敵でしょ?」
いたずらっぽい瞳の奥に見える、光。
そうか…。私は、私…!!
「ただいま…」
「優梨子さん!!」
心配そうな家族たち…。逃げ出した場所…。
「…ごめんなさい…」
にっこり笑って謝罪した。あの天使のような笑みはできなくても、私には私にしかできない笑みがある。
それは、自分だからできる、自分だけの『色』。
そう、だから、自分のために自分のことを、思うように。
それは、わがままかもしれない。それでも―――――!!!
「私―――――…」
Fin
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