VAMPIRE MUSEUM     




<Arrow to wear fate>



 ――すでに的を射た手ごたえがあった。
 指のなかで静止する羽根はどこか嘲笑っているようで、その芯が同調していた視覚を騙す。
 成功予測――
 それがひどく高い精度だったのは、訓練の賜物と思いたいところだがそれは間違っていた。

『わざと外すことは運命に勝ったことにはならない』

 ゆえに――



【遥かな過去の出会い】

1.

 その違和感をなんと称したらよいのか、いまだに迷う。
「――Excuseme」
 それでも彼に話しかけたのは立派だと思ってもらいたい。その様子は困っているようではなかったのかもしれないが寂しげではあったからだ。
 事実、
「You must not be man in this town. Have not you thought so?」などと言われた。
 とても簡単に訳すと「あなたは自分がこの街にふさわしいかどうか考えたことはあるか?」といったところだ。
 こんな質問を世俗だらけのアスファルトの上で聞くことになるなんて、ぼくは幸運なほうだろう。ぼくはこの相手を上位だと見定めた。
 ぼくは言った。
「Could you introduce the town that suited me?
(私に見合った町を紹介していただけませんか?)」
「I will pray for a wonderful place for you to be found
(私が祈っておきましょう)」
 なかなか見かけによらずユーモアにあふれた方だ。
 見れば旅行者のようでもある。
 おそらくは明日の便で発つのだろうが、目的地に思いをはせるあまりに眠れずに町に出てきていたのではないか。
 モデルのような顔立ちと背丈、お洒落な都市へ行くことは想像できても田舎に発つといった雰囲気じゃない。気になるので訊いておこう。
「Is the destination London to the travel in the future though how many harpooned? Or, Paris?
(あなたはロンドンかパリにでも?)」
「My destination is an island nation named Japan
(行き先は日本です)」
 日本?
 ――はて?
「What is the purpose of the travel?
(旅行の目的は?)」
「Little trying skill
(腕試しです)」
 ここで、ぼくは懐のナイフを意識から離した。
 彼に攻撃意思はないし、よしんばこれから身に着けているものを奪おうとしても敵うわけがないと知ったのだ。
 ――このときのぼくは単なる路上犯罪者だった。
 当時の西海岸ではめずらしくもなかった。
「It is a reward of the talk each other. Let's treat to the midnight snack
(話に付き合ってくれたお礼に食事でもおごりましょう)」
 この後、彼は「ラヴァ」と名乗る。




 ぼくにとっては数年前の、世界にとっては約半世紀は前かというころの話だ。あまり覚えていないので年月の数え方がぞんざいなのはまことに申し訳ない。
 ただ、ぼくにとってあの男と出会ったのは幸運だった。
 不意に時空を跳んでしまって、戸籍もなにもかもがなかったぼくを、ぼくたらしめたのはあの人がいたからに他ならない。
 いや……それは正確ではないか。



2.

「行ってきます、母さん」
「あ、ちょっとまってくれる?」
 日本にあるごくごく自然な風景をぼくが展開していることはいささか驚きなのだが蓋を開ければ、ある日ひろった少年――ぼくのことだ――と、婚約者に裏切られた不幸な女性――母のこと――と鬱になりそうなところなのであえて忘れていただけるとありがたい。
 彼女にとって、ぼくは擬似的な幸せを展開するのに必要な拾いものなのだし、ぼくとして彼女は大きく救ってくれた人だ。日本語を教わりわずか二年のあいだ一緒にいるだけだが母と思わずしてなんと言えばいい?
「ゴミ出してきてね」
「……はい」
 嫌だと言えないところが余計にその口だ。


 U市は最近、市として政令指定を受けただけあって発展途上の田舎とも都会とも呼べない町だ。中央の高い三つビル(通称:三高{みたか}ビル)がその象徴となっていてお国全体の不景気からは考えられないほど金が回っている。
 工事のさいの風塵が太陽に焼かれた石の香りと一部場所によっては洗濯物など干していられないスモッグぶりという、活気には満ちているが澄んではいない、そんなところ。
 とうぜんながらそんななか徒歩で一時間もかけて通えるはずがない。自分がデリケートとはいわないが、つい先日乗れるようになった自転車(愛称:隼{はやぶさ})を使いたくてしかたないのも認めざるをえないところだけど。
 言うまでもないとは思うがぼくの行き先は学校だ。
 そう、こう見えてぼくは19歳――しかし高校一年生――なのである。
 そのあたりにひそむ過去は、まあ、想像におまかせしておくとしよう。
「おはよう」
「お〜っす」
 後ろから追従してくるように合流を果たした二名の友人と呼べるかもしれない彼ら等もその理由のひとつとしておこう。
 教室は清潔そのものだ。
 近くで舞っている粉塵を遮断するために空調までついているのだからリッチな町である。地価はどんどん高くなっているらしいが――母のように――経済的に豊かでなければ住めないのだから問題ないだろう。
 なものだからか、あまり細かいところは気にしない。
 ぼくが帰国してきたばかりだという理由と母の希望ですんなりと席を置かせた学校など最たるものだろう。いくらぼくの根幹が外国であって食うか食われるかの港町だったとはいえ正直無警戒すぎる。信じられん。
 そろそろくだらない感想はやめておこう。
 始業ベルの鳴る直前にはとあるイベントが待っている。
「おはよう――ミスター・クルーガー」
 悠々としたいでたちで落ち着きはらい、静かにぼくの隣の席に座るこの少女。クラスではルガーと愛称が定着したというのに呼ばれるわけで、感心はしないがどこか他の子にはないものがある。
 ――匂いがする。
 あ、いや、変な意味ではなく。


「はじめまして、中野美夕です」
 そう言ったとき、彼女は隣にいた。
 ぼくは転校(という扱いである)してきてはやどう自己紹介していいのやらと途方にくれていたなか、中野美夕は隣にいた。柄にもなく緊張していたりしたぼくとしては隣で堂々と自己紹介をする彼女は凛として写っていた。
 後に、友人かもしれない男が口をそろえていうには可愛いとかたまらんとか――しかしアイドル化されるわけではなくてあくまでも冷戦で狙うべきだと。
 実際ぼくもそれは同意なのだが、この少女――本当に日本の女の子なのだろうか?
 見た目は、これ以上なく日本の少女であるにも関わらずどこか違う。雰囲気というか、演ずるところは堂々としていて早熟というよりはいっそ老獪しているようにも見える。教育期間中はみんな大して違わないなかで、どこかココじゃないところを活動拠点にしている場違いな違和感を感じる。
 かといってココにいてはいけない人種かといえば、そうでもない。すくなくともぼくよりは。
「もうココには慣れたの?」
 ――普通、同時に転校してきた人間がこのように訊くわけがない。
「慣れないな」
「そう」
 いかんせん無口で、そういったところはぼくなりに分析した日本女性の三分の一程度の性格に当てはまりはするのだが……
「中野さん」
「美夕でいいよ、苗字はあまり意味がないから」
 意味がない? ……まぁいいか。
「美夕さん、やっぱり外国にいたことあるだろ?」
「そう見える? どうして?」
 ――匂う。
 とは言えない。
 口に出したら、まあ、なんだ、その、妙な意味にとられてしまってはぼくが困るし母も泣く。
「くすっ……さ、始まるわ」

 ――授業が、が抜けている。

 でもぼくはそうだと思いながらも否定していた。
 彼女は別の意味で、そう告げたのだと、そういう予感だけがあった。



3.

 先に断っておくと弓道部に入った理由などあまりない。
 母の「朝練とかで早く行く息子のために起きてお弁当をつくるのがちょっとした夢なの」という一言で、てきとうに書いたあみだくじで選んだわけだ。もっとも今現在はそんなことはされない。夢は見るまでが夢というやつである。べつに怒るわけじゃないけど、いい年こいた高校生が愛母弁当を広げる羞恥心を天秤にかけて当初に判断していただきたかった。……嬉しかったけどな。
「まずはいつものようにウォームアップ、三本な」
 部長(女性です)が言った。
 ぼくらはそれにしたがうわけだが、外国からってことで目立つのかぼくが射るときは常にみんな静かである。
 ついでにいえば、関係のない連中までいたりする。
 見世物になる身の上なのでいい気分はしないが、矢を向ける気にはなれない。
 的を射るのはわりと得意だった。
 だから力の篭め方等がわかりはじめた最近はよく当たる。
 ――射る。
「おお〜、必中ッ」
 的の中心を射たらそれに心を向けて静止せよ――いわゆる「残心」と呼ばれる弓の工程だが……
「もういっかい! もういっかいッ!!」
 部長、あんたが一番うるせーよ。
 ふたたび構え、何種もの工程を踏み――
「あっ」
 ――外した。
「おっしゃあ〜〜〜! 残念!」
 嬉しそうだな、彼女。
 ちなみにこのひと、やりはじめたばかりのぼくが言うのもなんだが、自分が射るときはそれこそ山のように静かで淀みがなく風のような矢を射る。
 成長したあかつきには彼女みたいに弓ができるのかもしれない。
 叶うわけのない未来の話だがな。


「調子悪いんよな?」
 妙なしゃべりで指摘される。部長である。
「いえ……まあ、なんというか、最初が一番集中できてそこで売り切れてしまったようで……」
「あなたの集中は有限ですか?」
「そうですね。集中力なんて長くは続きません」
「それは、あたりまえだけど大事なことだ。いいものを掴んだな少年」
「恐縮です」
「あら、そんな言葉しってんだ?」
「恐縮です」
「……もしかしてからかってたりしてまいか?」
「恐縮……です」
「くぅッ〜〜〜ッ! てめぇ、それしか日本語覚えとらんのか!」
 他国語をここまで使いこなせる日本にやってきて二〜三年生程度なぼくはそれなりに頑張ったつもりだったりする。
 そんなわけで、さすがにピクピクと憤りがこめかみを走った。が、そんなものを発散するよりも前に、
「罰としてもうちょっと射(い)ってきなさい」
「お、お言葉ですが他の部員の貴重な時間を奪いたくありません。ぼくの出番はもう終わりました」
「え? 今日誰か居残り??」
 ――残れってことか。


 さからってもしかたないので母に連絡をいれて一度着替えて時間をつぶそうと教室へ。ウチの部活は数名ごとの時間制なのである。
 女子使用中の看板が立っていなければ迷わず更衣室なのだがこればかりはしかたない。
「大変そうね」
「ん? ……ああ、美夕さん」
 ……やっぱりこのひとは他と違う。
 制服を着用しているし――ここで白衣でも着られていれば驚愕で三回まわってワンと言ってもいい――端正で幼さを残す顔立ちと長いリボンを絡ませた片団子以外は目立つわけじゃないのにぼくはどこか違うのだと思う。
 瞳が違う。
 ――探られているような気さえする――
「弓が上手なのね? それとも的を射ることが上手なのかな?」
「そのふたつに違いがあるんですか?」
「違うわ。狩りのとき、武器が上手なのか獲物に刺すことが上手なのかで結果は違うでしょう?」
「弓は武器じゃないよ」
「あらそう?」
「………」
 弓だけではなくて武道全般に言えることだが、基本は何かを倒したりを目的とした動作と被る。ゆえに武道とは基本的に殺傷技術とあまり変わらない。
 本能的にあるその事実に克つことが「道」なのだという。この文化はぼくにとって新鮮だったこともあり最近の知識なのでよく意識する。
 が、たしかに彼女のいうことにも一理あるのかもしれない。言わんとしていることはわかっていた。
「ところで」美夕がおもむろに――「神様って信じる?」
「信じる、というが崇拝と同じ意味ならば違う」
「居るとは思うのね?」
「ああ」
 でなければ時間を飛び越えるわけがない。
 ま、そんなことはぼくが彼女に話していいことでもないしどうせ信じられたりはしない。モニターのなかの現実ならば平気で悪事が連想されるのに目の前に存在する足元の現実は目と耳をふさぐ、それが日本人のメンタルだということをぼくは学習していた。
「美夕さんが神様じゃないか?」
「くすっ、冗談にしては笑えないわ」
「笑っただろう?」
「違う。冗談の内容じゃなくて、それを冗談だと思ったことがおかしいなって思ったのよ」
「なるほど――」
 などと彼女が指摘したとおりあまり気の利いた冗談とは思えない自分の貧困さを実感しつつ話の先をうながそうとしたとき――
「ッ――!?」
 ビリッとした。
 不意に間接をなにかにぶつけると痺れがあるけど、その痺れだけが急に感じられた。
 気のせいだと思うより早く後ろを確認する。
 前を向いていて視覚以外に違和感があれば癖のように後ろを確認するしかない。
「どうかした?」
「……いや」
「Do you remember him?
(彼を覚えている?)」
「ひきゃがヴぇ!」
「ど、どうしたのよ?」
 思わず寄声をあげてしまい羞恥がわたわたと首を振らせる。手もひざも笑えるぐらいランダムにふるふるしてしまう。情けない。
 最近英語で話しかけられることなどなかったし、それは母とだけだったからとはいえ、ほんと、情けない。
「なんでもない」
「私が英語を話すことがそんなに意外?」
 ……すいません、ちょっとそうでした。
 まぁ、成績はよかった。
「美夕さん、英語話せるんですね?」
「いえ??」
 はい??
「知り合いからすこし覚えただけよ。それに私には言語そのものはあまり意味ないもの」
「……はぁ……」
 ぼくは亡羊とするしかない。
 しかしまた情けない姿を見せたいほどマゾスティックじゃないぼくは質問を用意した。
「ところで美夕さんはこんなところで何を?」
 記憶が正しければ彼女はどこの部活にも属していない。成績から予習かなにかをしているのだろうと推測はできるものの放課後の行動を知るほどではない。興味本位半分、さきほどの失敗を水流そう(←日本語のなかで非常に便利な言語だ。他の国にない概念である)としているのが半分だが。
「ここからだとよく見えるから」と美夕さんが視線を変える。
 ぼくはそれを追う。
 めずらしくもない工事の多いコンクリートの景観。そのなかで、ひときわそびえたつ三つのビル――
「……三高{みたか}ビル?」
「ええ、そのなかのふたつ、かな」
 通称、三高{みたか}ビルはすべて違う企業が融資している半公共事業だ。ひとつは中心企業のオフィスに、残りふたつは半分程度までショッピングモールや劇場、アミューズメントフロアとして一般開放される。
 そのせいかふたつには架け橋がある。
 これを高い虹(High rainbow……ハイレインボウ)と呼んだりする。
「そのうちのふたつって……高い虹のこと?」
「何かに似てない?」
「……え?」
「赤かったりするともっと素敵なのに」
「……は?」
「コンクリートというのが味気ないけれど」
 ……はて。
 どうしよう。
 まったくわからん。
「降参です」
「さすがにわからないか……クスッ」



 当弓道部の居残りは陽が落ちると事実上終わる。矢も的も見えずらくなるため危険という理由だ。それと部長が信頼されているせいで顧問の先生すら来ない。
 そんなわけで他に居残りのいない本日、ぼくは部長とふたりきりという状況になってしまった。
「最後一本」
「はい」
 ――足踏み
 ――胴造り
 ――弓構え
 ――打起し
 ――引き分け
 ――会
 ――離れ
 ――残心――
 弓道においては「節」というこの工程を終了する。
「――お見事」
 部長はやわらかい声で言った。
「やっぱり今度の試合は君の出番かな?」
「一年ですよ?」
「面倒かい?」
「……図星です」
「う〜ん、まぁ、でも集中してるときのルガー君はそれこそわたしなんか足元にも及ばないよ」
「その集中こそがこの競技の優劣でしょ?」
「はっはははっ、たしかに」
 ぼくは何度かこのひとに付き添って夜にも矢を射ったことがある。そんななかぼくは正常な部活の時間よりも集中できることに気づいた。
 それをこのひとはぼくよりも早く気づいたらしい。
「人に見られてるの、気持ち悪い?」
 たぶんそれが原因なのだろうけど、ぼくはそんな人間になってはならないはずで、それは乗り越えなきゃいけない壁だ。
 しかし現時点ではやはり――
「あまり大勢には……」と答えるしかない。
「誰しもそうだから、その点は心配いらないな」
「そうでしょうか?」
「もともと弓という武器は周囲が見えなくてはならない。味方を射るわけにはいかないし、集団で矢の雨を降らせようと思えば皆同時に同程度の高さに撃ち上げなければいけないからね。武道というものの本質は、その種別にかかわらず「裏」というものが大事ってことだ」
「……人を意識せず、しかしそれだけではいけない」
「そう、観客のせいで自分の能力が出せないというのは誰しもあることでそれは本能だ。武道にかかわらず他人に見せる技能の道とは自分を世界にさらけだすことに他ならない。……君にはそれが足りない」
「………」
 ……当たりだ。
 当たっていると思う。
 いまだに母にすらすべてを見せているわけじゃない。
 うそつき野郎のへったくれ。
「かといってね、隠しているものをさらけだせと言っているわけではない」
「――え?」
「隠しているものは、隠れているからこそ価値のあるものの場合が多い……言ったけど、その裏にこそ本質がある」
「あっ……」
「抱えているものが大きいから、君の矢は揺るがされずに真っ直ぐに的を射ることができる」
 ……なんてこった。
 初めて言われたぞ、そんなこと。
「部長……もう下校時刻ですよ?」
「ちょっとは聞きなさい? 最後だから」
「最後?」
「こんなにお話したの初めてでしょう?」
「………」
「そうじゃないとあなたはすぐにどこかに行ってしまうから」
 もちろんそれは深く関わりたくないためだ。
 言っちゃなんだが自分はココにとって異常な人間でしかない。外国人の風貌もそうだが事情を話した母ですら時間跳躍なんて話を信じていない。
 そしてぼくのなかには常にそのことが根底にあって、ココではすべて劇場のなかにでもいるような気分でしかない。それ以上は不可侵領域だ。ぼく自身、ココは楽しいと思っているし皆にはどちらかといえば好意を持っている。けれど本能的に回避している。
 だから――
「わたしはね――君に恋の告白をしようと思って今日居残ったのよ」
 ――それは衝撃だった。
 恋というものがどういったものなのか、それは語る人によってまちまちだがぼくはどう返したらいいのかまったくわからなくなっていた。
 回避すべきだ。受け取るべきだ。誤魔化すべきだ。
 どれがベターなのかわからない。
 このひとのことは好きだ。一緒にいても負担になるようなことがないし、さっき話していたことを裏返せば今後追求してきたりはしない。ぼくにとって都合のいい女性であることには違いはない。黙っていれば美人そのものだし、現に女を出してくれているからか目の前にいるのは抱きしめたくなるぐらいに素敵だ。
「………」
 覚えはするものの呼んだりすることはすくない固有名詞を検索する。
「――青山さん」
「答えは名前でお願いできる?」
「……千春さんは……ぼくにはもったいないと思います」
「……そう? こうして緊張を隠して可愛くなるなんてできていないのに?」
「か、可愛いですよ、ほんとに」
「嬉しいわ、うふッ」
 びっくりするほど似合わない。普段、どちらかといえば中性的なしゃべり方をするなかでは。
「……好き、そうだと告げたいだけなのかもしれないけど……答えはそのうち聞かせてもらえるかい?」
 引き延ばそうと思っていたことが伝わったらしい。
 冷静になればぼくがこんな申し出を受けられるはずがないんだから、時間が経てば心のなかにある好意に流してくれるはずで、それがきっと正しいのだ。
 でも、いまこの場で断ることができない。
 とんだチキン野郎なわけだ。
 それでも――
「はい……かならず、言いますから」
「うん」
 裏切りたくはないが、いまは――



【美夕とラヴァ】

1.

「ちょっとちょっと♪ 母さん女の子からの電話を受けちゃったんだけど♪」
「ふぁお?」
 休日の夕食中、そんなことを嬉ながらに言う必要がどこにあるのだろうとマイフェイバリットな海苔巻きご飯を味わいながら思う。
 日本の海苔は神秘だと思う。これは本気だ。
「代わる? って訊いたんだけど用件伝えるだけでいいからって言われちゃった」
「んぐ……話が見えないんすけど?」
「青山さんって方、同じ部活の方でしょ?」
「……そうだけど?」
「すごい丁寧にルガー君のお母様だなんて言われちゃった♪」
 ……いや、だからいちいち嬉々とするな。話が進まないんだが。
 もはや母というより年下にすら見える。
「……彼女?」
「違う」
 返答次第ではそういうことにもなるんだろうけど。
「ふ〜〜ん」
「で? 青山さん、なんだって?」


 出かけるから来週の休日はあけておけ――とのことらしい。
 詳細は学校でということなのだろうが電話を代わらなかったってことはおおよそ検討がつく。例の件の答えを電話でってのが嫌だからだろう。
 そこは納得できる。ぼくと部長は会うのが普通なわけで、むしろ電話は特別なのだ。
「……う〜ん」
 そんなわけでぼくは迷っていたりする。
 実は答えなんぞ出ていない。どうしても、付き合ってみたいという感情が振り切れない。なら受ければいいのではという思いもあるにはあるが、それは憚られる。
 こんなときは夜の散歩に限る。
 秋近く、涼しくなってきた夜はそれなりに雰囲気がありあてもなく歩いて時間を過ごすのに適していた。
 コンビニエンスストアで飲み物を買い、それをちまちますすりながらゆっくりと歩く。いやはや自分でも爺臭い気がするんだが案外これが心地いい。なんなら、ぼくのは壊れてしまったがブツブツで足の裏を刺激する健康サンダルをつけてもいい。今度やってみるといい。おすすめだ。
 よく整備されているというよりはトラックなんぞが通る大通りに比べてあまりにも酷使されないアスファルトが平坦で整然としている。そんななかちらほらと見受けられる並木が葉のエフェクトをかけていた。街灯はそれほど多くなく、しかしないわけではない。
 だから見間違えた可能性もある――
「な?」
 ぼくは考えるよりもさきに走っていた。
 さっきまでの落ち着いた景観がこれ以上なく慌しく地震に揺れるように見える。足が向かう先を意識まで届かせたのは一つ目の角を曲がってからのことだ。
「――ラヴァ!?」
 忘れていない。
 ぼくはあんなに特別な男を見たことがない。忘れるはずなんてなかった。
 あの、遠い昔に、遠い場所で会った男がいた。
 それだけでぼくには全力疾走する理由になった。
 べつに何をしたいわけではない。たかが会っておきたいというだけだ。そんな感情だけで全力疾走なんて普通はしない。端から見ていた人間がぼくを男色じゃないかと疑うのも無理はないほどの異常っぷりだ。
 結論からいえばその日彼に会うことはなかった。
 が、代わりに予期せぬ少女がいた。
「何を追いかけているの?」
「美夕……さん?」
 こんなに夜遅くに制服姿で??
 不思議さよりも憤りが先に立った。
「なにしてるんだ! こんな夜遅く制服でひとりでぶらつくなんて襲ってくれっていってるようなもんだ!」
「……は?」
 見たことがないほど呆ける美夕さん。というよりビックリしているだけのようだが。
「ええ〜いッ、親は何をしてる!?」
「……あぁ……なるほど」
 なにがなるほどなのか?
「心配はいらないよ、大切な人ならいるから」
「じゃあちゃんと守ってもらえ!」
「守ってもらってるわ」
 こ、この女、頭がおかしいのか? しれっと言ってる場合じゃないだろう? 自分の身が――言い繕うのはやめて犯される危険があるといっておこうか――危険すぎるわけでどうして突っ立っているのだ?
 深夜3時ごろに米○基地の近くをさも誘っているようにブラついてヤられました、てへっ、とかいって遊ぶ娘には見えないんだが本当はそういうキャラなのだろうか?
「見たい?」
 なにをだ?
「……r ァ」
 ――なに?
 小さすぎて聞こえなかったが、いまラヴァと言わなかったろうか? 気のせいか?
「驚くか、怖がるか、あなたの自由よ」
 美夕さんがそうつぶやいた瞬間――
 夜が揺らいだ。
 ぼくにはそう見えた。
 ゆっくりと虚空から白い仮面が滲み出す。揺らいだように見えたのは、その漆黒の外套(マント)が錯覚させたのだろう。
 背は高い。
 美夕さんはとうぜん、ぼくでも水平に見たら首あたりまでしか見えない。
 長身でそれなりの体格をもった男――といっても顔は見えないので予想だが――だ。
「……誰だ?」
「大切なひとよ、言ったでしょう?」
「守ってくれるひと?」
「そうよ? ……でしょう?」
 後半の言葉は仮面の男に向けていた。
 仮面の男は肯定するように腕を開く。
 そのまま少女を包み込むようにして抱き寄せる。
 ……いや、抱き寄せるとは正しくない。寄ったのは男のほうだ。
 包み込むように寄り添う――そんな意味がわからなくなる表現がぴったりくる。
「さぁ、あなたは何を追いかけていたの?」
 一文字一文字が脳にへばりついてくる。
 ちょうど催眠能力にでも触れたようだ。
 本能は、油断してはならないと警告を出していて、それが大きすぎるためかぼくを落ち着かせすぎてしまう。
「……いま、こっちに外国人が走ってきたのを見なかったか?」
「それはあなたのこと?」
「違う」
「走ってきたのはあなたひとりよ」
 そのとき美夕が浮かべた笑みは、ひどく見慣れたもののように思えた。



2.

 青山千春、18歳。
 今年卒業を控える彼女はすでに大学も決めていてそろそろ延び延びになっていた次期部長への引継ぎを終わらせておくべきだろう。
 そんな彼女は部活では半分顧問のような扱いを受ける。
「先輩、ひじは直ってきたと思うんですけど、その他が……」
 フォームを手直しするのも彼女の役目だ。彼女自身はそれほど自分の実力を高く評価していないが傍目には指導者のそれだった。
 ぼくもそう思う。顧問の教師が他の進路指導に集中することができるのは彼女を信頼しているからだけではなくて実力も認めきっているのだろう。
 ちなみに容姿もそこそこ綺麗だ。
 しぐさがあまり女の子といったものではないものの、どのパーツも主張しすぎずに整っているし、普通は上になればなるほど幼く見えるはずのポニーテールが存外に大人っぽさをかもしだしていた。
 特徴という特徴といえば、肉体よりもむしろ堂々としている立ち振る舞いといったところか。
 文字通りの彼女にするとしたらこれ以上意に沿う人はあまりいない。本人の存在感はココの一部となっているような、そんな人間には特に憧れも感じる。
 ――そんわけで思いっきりホの字だと自覚してもいいくらいなのだが――
「……ならなんのために日を空けたんだよっ、ぼくめっ」
 自分に嫌気がさしてならん。
 ありえん。
 ちくしょう。
「あれ? 今日は射(や)らないのか? 女性諸君がお待ちかねだぜ?」
 うるせー。
「村山が先にやりゃいいじゃねーか」
「ルガーのほうが期待されてっよ。おれは空気を読む男なんでね」
「どういう期待だ?」
「顔がいい外国人の袴姿に一年で飛びぬけた成長を見せた部員――そんなやつに期待することなど女性諸君にはたくさんあってしかるべきだ」
「ふむ……ぼくはそんなにセクシーに見えるのか?」
「生粋の美形日本人がそう言うのなら張り倒すところだな?」
「そうなのか?」
「セクシーの単語の使い道が違うからな。日本じゃ日常会話のなかではうつくしき姉ちゃんズだけに許されてる」
「勉強になるな」
「……中野さんのノートに頼って国語で初めて60点以上とった男には必要だろ?」
「そんな男に山はってもらって英語の赤点が免れた男から教わることがあるってのは素晴らしいことじゃないか」
「……喧嘩売ってるのか?」
「……どっちがだ。いたいけな外国人の少年がモテると勘違いしたらどうする?」
「……モテてんだよ、頭痛い男だな?」
「そうなのか?」
「そうだ」
「……そうか」
「……そうだ」
 などと、ごくごく日常的な友人との会話をしつつ、どうしても視界におさめておきたいのは当部の部長なわけだ。
 先日まではそれほどでもなかったものの、告白されてそういった視線で見ると――
「うなじが素敵だな」
「……ルガー、おまえ実は生粋の日本人なんだろ?」
「健康な男子だと称してくれ」
「ならばこれをおすすめしておこう」
 友人はなにやらメモ帳を取り出してぼくに渡す。
「……ん……漢字が多いな、読んでくれ」
「よかろう」
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「………」
「……どうだ?」
 どうだ? と訊かれてもな。
「けしからんな?」
「実にけしからんぞ?」
「犯罪じゃないか?」
「非合法すれすれではあるだろうな、肖像権がある」
「非合法じゃないか」
「そうかもしれんな?」
「だが男なら女のために法のひとつやふたつを犯すべきだろうな?」
「そうだな、そうかもしれんな」
「相場としては安いのか?」
「おれの紹介だぜ? 割引券も持ってる」
「そんなものまで発行してるのか!?」
「老舗だからな」
「じゃあ数年前とかそういうのもあるのか?」
「望むならな、カタログが4000円ほどかかるが」
「いまの上級生が初々しいころとかあるのか?」
「肯定しよう。それならまだまだ需要が高いらしくて1000円でもあれば入手可能だろう」
 ……うむ。
「で、どこに行けば手に入る?」
「そうこなくちゃ」
 と、そんな微笑ましい会話を交わしていたら――
「先輩! 男子がなにか変なことを――」
「さ〜て今日は何本射ろうかな」
 これは防がせていただきます。ええ、恨まれることになろうともぼくは後悔なくそちらを選ばせていただきます。
 気が弱い娘だったのか見事に逸らすことには成功したものの部長に訝しげに見られてしまうことは避けられない。
「男の子どうしのお話?」部長が鎌をかけにくる。
「ならではの話ですよ。競争心こそ男心というものです」
「ん? ああ、でも十本ずつぐらいで休憩しなよ」
 なんで部長はニヤニヤしているのだ?
 告白したぼくが射るから? 違うだろ。
 そんなことではあんな笑みは浮かべない。明確には説明しかねるが、昨夜、美夕さんが浮かべた笑みと似ていて、ぼくには重たく見えてしまったのだった。
「……はい」



「じゃあここまで、あっ、ルガー君は残るように」
 いろんな意味でビクビクするが、どちらにせよ先日の電話がある。聞かないわけにはいかなかった。
「居残りざまぁ!」
 うるさい後輩である。元気がいいのはとてもいいことだが留年している先輩に罵声を浴びせる度胸は買おうか。
「去(い)ね。的まで届かせてからだ」
「順当に学年をあがってから言いたまへ」
 ……気づかれているとは思うが、いちおう説明しておくと「後輩」という存在はぼくには存在しない。同じ一年なのである。ようするに、だ。
 気にしてるんですよ? これでも。
 現実逃避したいぐらいには。
 さて、そんなこんなで他の部員が帰宅したあと、部長が着替えるまで待つこととなった。なんのことはない。あまり男子的愉悦を覚えるイベントはすくなくともまだ発生していない。
 強いていえばこの待ち時間なんだが――
「……優柔不断……油断大敵……心頭滅却」
 てきとうに四字熟語を考えておくことにした。
 ぼくにとっての四字熟語は呪文みたいなものだ。だから意味はあまりない。したがって現状に適した精神誘導法として選んだわけなのだが……
 違っていた。
 誤っていた。
「………?」
 最初は寒気。
 今日は汗もそれほどかいていないし、風邪という思いは消える。というよりは初めから考えることすらない。
 ――理由――
 それが頭のなかでぼんやりとゲジュタルト像を滲ませている。
 言語野を食らい尽くされるようにぼくは徐々にぼくの位置を維持しない。俗っぽくいうなら、意識が不安定で落ちかけていた。
 ――視覚はとっくに景色を失っていた。
 目を閉じることを許容していたため、ソレに気づくのに遅れる。
 遅れたといえば、自分のあさはかな精神誘導法も間違っていることに気づいた。
 ――精神の統一、あるいは精神を落ちつける手段のなかでもっとも強力な手段は「自然体」であること。
 ナチュラルな状態であるならばこそ集中力は研ぎ澄まされる。それは弓道で学んだことだ。
 流派によって異なるのだろうが、この学園で教わったことに関していえば矢を的へと穿つためには息を止めてはいけない。
 ぼくたち人間は集中する際に息を止めたり身体を緊張させて応対しようとする。ようするに「身構える」という動作のことだ。実はこれはあまり適切ではない。
 弓の世界において、決められた動作は「節」と呼ばれる。つまり一定の間隔、リズムだ。
 人間はリズムで生きている。鼓動(リズム)で感じる。

 ――四字熟語をなんとなしに考える。
 ――好意をしめされた先輩を待つ。
 ――自分のルーツに疑問を投げかける。

 もう一度確認しよう。
 ぼくは何十年もの時を渡った経験を持つ。


4.

「美夕、弓道場です」  ――ほとんど気配を感じられない微細な、現実にとっての違和感を探し当てて主へと伝達する。
 そして同時に軽い戦慄を覚えていた。
 おそらく初めてに近いのではないか。
 すくなくともラヴァが見た人間のなかでこれほど神魔の感覚に対応した者は初めてだ。
 あろうことか「場」の把握までこなそうと探っている。
 人はもともと第六感性(シックス・センス)を信じている生き物でそれは正しいが、それはなにかに集中しようとしてしまうと得られるものではなくなってしまう。
 かといってダラけていては感じることなどできず、神魔からすれば不憫なほどに思えてしまう。まるで人にとって目が見えない動物に哀れか優越を味わうようにだ。
 だが目の前の人間は違う。
 いま彼のなかで全開になっているのは、俗語で記すのならば霊感といわれる類の第六感性(シックス・センス)。
 そしてその霊感をもっとも強く発揮させるために自然体を維持していた。
 現時点での状態は――
「――人間が、神魔を縛っているというのか」
 その信じがたい仮説。だがそうであればときたまこのあたりに神魔の匂いがしながらも本体を見つけられない理由に合う。
 しかしそれが事実だとするのなら本当に驚愕に値する。
 もっともラヴァは基本的に感情の起伏は抑えてしまう。そうでなければ監視者(美夕)の傍につき従うことなどできないし、もともと人間には大した興味はない。
 昔の仲間と離れて――この国に来る前に一度だけ遊んだことはあったが……
 ――すこし仮面に感謝しなくてはいけない。
 抑えなければいけない感情がたしかにあった。
 ラヴァは覚えている。
 あの港町のモーテル前で一緒に食事をとった子だ。
 珍奇にも人間のなかではことさら強い記憶となって残っている敬意を表すべき少年。
「……ずいぶんと用心深いようね……あれじゃあ彼が追い詰められないと出てこないでしょう。悪さもできないわ」
 いつのまに隣にいたのか、美夕も信じられないものを見るように彼を見据えてつぶやいた。

 それを見てラヴァは客観的な印象を得る。確信する。
「……美夕……実は――」
 彼は――




【千春と時間】


1.

「……ねぇ、どんな気分かな?」
 目の前に部長の顔がある。とても近い。というより密着して離れた直後らしい。
「……目が覚めた気分です」
 ウソ偽らざるぼくの答え。
 それに満足そうにまぶたを閉じてぼくの首を引き寄せる部長。それにあらがうすべを持たず唇が重なる。
「――――」
 無言のなかで、ぼくは彼女に答えを返していたことを知った。追体験していくようにぼくは部長に向かって、ぼくでよければ、と返していた。ほんの数分前の出来事だろうと思われる。ぼくはその実感を持っていた。記憶が順繰りじゃないだけだとしてぼくは唇に意識を集中させることにした。
 あたたかく湿り気をおびていて、なによりもやわらかく形を変える。それはぼくのほうも同じなのかもしれないがその柔軟さはまるで自分に合わせて歪んでくれるのだという希望をいだかせる。
「……部長」
「千春って呼ぶつもりなし?」
「……千春さん、紅茶、甘めが好きなんですね?」
「う、うるさい」
「初めて見ました。そんなにうろたえてるのは」
「……たぶんこれから見せるかもしれないからは恥ずかしいけど我慢するよ」
「恥ずかしそうにしているのもいいと思うんですが?」
「それはあなたに任せようかな?」
「……善処しましょう」
 狂っていたのはぼくの時間であって、けっして彼女ではない。


 その場ではあまりにも恥ずかしかったので帰り道を少々の時間ともに過ごして別れておいた。
 送ろうか? と気の利いたことを言ったつもりでも飄々と逆に送ってやるなどとのたまう年上の女性っぷりは内心ツボである。プライドとか、そういった種類の自尊心は人並みに持ち合わせているつもりなのだが、どうも彼女に言われると傷つけられるというよりは突付かれるといった感触だったし、軽く舞い上がっている気配がしたからだ。
 ぼくも充分に舞い上がっていた。
 あまり使わない小遣いにて買い食いをして心を落ち着かせたぐらいには、だ。
「……海苔はいい」
 などと三高ビルに遠い視線を送りながらひたってみたのも、いわゆる精一杯の虚勢であるのは事実だ。
 そして――
「……すこし、思い出した」


2.

 時系列を正しく並べた場合、ぼくは告白の返事をしたときにあそこにいなかった。正確にはわからないが、似たような表現をするとしたら「いたけどいなかった」としか言えない。
 そのあいだ、どこかに行っていたからだ。
 この町はなんだか金持ちなので各所に公的な施設が並んでいる。駅のバスターミナルの周辺にはとくに交番が多かった。
 ぼくはそこにいた。
「あなたの、名前を、教えてください」
 一語一句をハキハキと発音し、ジェスチャーもくわえて警官がぼくに言った。
「親は、どこにいるんですか?」
 中学ほどに見えただろうぼくは保護者を求められた。ぼくは日本語をまともに覚えていなかったので説明はできなかったが無抵抗を貫いた。
 警察をあまく見てはいけない。その後この国の治安機関が平和ボケなどと揶揄されているのを見たのだが、そんなことはない。そのときのぼくの認識は正しい。
 先進的で極めて治安がいい場合、その空気自体が一種の抑止力となる。それはぼくがのっぴきならない場所にいたためで、それから比べたらはっきりいって天国に近い。大体の市民が協力的である治安機関はそれだけで脅威であるといえるし、正直にいえば尊敬さえしていた。
 すごい、まったく違う。
 国が違ったこともそうだが、時も違ったぼくにしてみれば従順になりこそすれ反旗を翻す理由がない。むしろ自分の語学が違うために職務とはいえ苦労をかけてしまったという罪悪感すらあった。日本語を学ぶ意欲はそのときに生まれたのかもしれない。
 警察はぼくをひとまず泊めることにしたようだった。
 一番つきそってくれたおじさんが缶コーヒーをおごってくれた。あまりものの弁当だといってあたたかい――レンジの存在知ったのはその後だ――ご飯をくれた。信じられないほど柔軟であたたかい毛布で保護してくれた。
 ――本当に、天国に近い。
 ぼくは、実のところ死んでしまったのではないか? ぼくはもう骨になって石も花もない土地の餌になっているのではないか?
 そんな妄想まで抱いたが、ぼくは「時を越えた」ことを知ろうと何度も記憶をさかのぼる。
 いつ超えたのか? その瞬間――どこからきて、どこにきたのだろうか?
 明瞭には思い出せない。
 それもとうぜんな気がした。
 むしろ意識できたら大変だ。
 ぼく程度の者が、時間なんてものにとやかく発言する権利などないし、考えることすらはばかられた。
 正確には考えた末にその結論にいたったのだが、ふたつほど気がかりになりつづけることが浮き彫りにされた。
 ひとつ、あのラヴァという大人の男。
 ひとつ、時間を超えたということを証明できないというのにそれを確信している自分の意識。
 両方とも考え続けていると頭がおかしくなりそうだ。
 空腹、暖を与えられたひとしきり頭が痒くなることを考えたあと、すなおに眠ることにしたのである。
 ぼくは次の日警察から出ることになり、それは捕まっていたときよりもはるかに違和感が強く、警戒もしていた。
「あなたは今日からわたしの息子よ」
 そう言われたときには驚いたもので、そのあとも不思議だとすら思える突飛な母の出現に目くらましをされていた。だからさっきまで気づかなかった。
 あのときに居た場所を思いなおしてみて、ぼくはすこし理解した。ぼくは同じ場所で時間を越えてきたときに立っていたのだ――

 いささか語弊があるが、ぼくはそのときのことを追体験していた。
 告白というイベントのなか、相手のことなどいっさいよぎっておらず、YESと答えて成立させた不届き者なのだから――ぼくはより大切に思うべきだろう。


3.

「………」
 バスケ部員の友人が呆気にとられていたのは千春さんの弁当を食べていたのは初めてのことであるからで昼食中とてもにこやかにしているぼくがめずらしいからだろう。
 言っちゃなんだが母は料理がうまくない。
 慣れたせいか味は嫌いでもないが見た目が絶望的なのだ。母の名誉のためくわしく説明することは省くが副菜はなんらかのおこげ、といったお弁当を思い浮かべていただければけっこうである。
「うまそうだな?」
「うひひ――そうだべ?」
 後者はぼくである。
 そりゃあもう口腔粘膜で彼女のマニュピュレーターとそれを動かしていただろう想像力と味覚を舐め噛み味わい尽くしてやろうというとても自然な流れを実践していたぼくは端から見れば完全な変態であった。
 自覚はあるよ。やめないが。
「誰の弁当だ?」
「やらん」
「……いや、そのだな、コミュニケーションぐらいしてくれ」
 やかましい。
 ぼくはいまお弁当さまとそうしている。
「邪魔だ」とぼくである。
「……女のか」
 ほとほと呆れた、といった様相だったが、ぼくとしてはあきらかな嫉妬だなと受け取っておくことにした。
「じゃな」
 こら、タウンページを置いていくな。
 ん? 柳沢精神医院? 必要ないだろ? というかどこからだした?
「ごきげんのようだけど」
「おう、中野さん」
 美夕という字面と名がめずらしくてそう呼んでしまうことが多いが、それほど親しくもない女子なので自重することとしたのだった。
 さっきのバスケ屋とは違い何も持っていない。
「ごはん食べた?」
 お弁当をほぼ味わい尽くしたぼくは心優しくなっていた。人間おなかがいっぱいなら平和なもんなのかもしれない。
「――おなか、空いていないからね」
「??」
 直後――
『全校生徒の皆さん、とつぜんですが午後の授業は中止となりました。くりかえします。午後の授業は中止となりました。すみやかに自分の教室に戻ってください』


 妙だ。
 教室に集まれというのは休み時間だったからだろうが授業の停止という存在意義にもかかわるようなことを理由もなしに強要するものだろうか?
 もっとも結果的には正解かもしれない。不可思議さを孕んだ放送のいったことを全校の生徒が聞き入れたからだ。おそらくゆいいつの楽しみにしている人間も含めて、同じ違和感をもったのだろう。初めから従順な方たちはともかくとしてぼくと同じく猜疑心を抱いていた生徒はとくに担任教師の話をよく聞いていた。
「学校の諸事情で午後の授業はなくなった。よろこべ、いまから下校だ」
 さして熱血でもなく、どちらかといえばその場その場を楽しむ刹那主義の生徒のような教員はさらりと言ってのける。
 やはりおかしい。
 が、下校させていただくことに我々生徒は喜びこそすれ悲しんだりする必要はない。教室はなかば義務のように喜びにザワついていた。
 そんなか、顔と名前が一致しているのかあやしいクラスメートが言った。
「なんだかね。先輩がひとり行方不明になったらしい」


4.

 よくよく考えてみたら千春さんはぼくと同じ方向だ。
「おはよう」
 だからおもわずなにか感想をもらしたくなる笑んだあいさつに対して不意をつかれたのはとうぜんだろう。
 自然、軽く手をつなぎ形容するのも面倒なありふれた町を歩く。
 登校中の雰囲気は暗黙的に多忙を強要する。しかしそんななかで充足したものがあれば、案外それは長い時間に感じられた。体感としては短いのだが、ふりかえってみれば朝にこんな時間があったのかと思えるってわけだ。
 にしても――
「やっこいです」
「何が?」
「お手手です」
 あなたを人類かと疑いたい。それぐらいやっこい。
 まぁ、案外女性の手を長い時間堪能させていただく経験などさせてもらえないわけで、しかもそれがつきあうことになった女の子なのだったら感慨深くならざるをえない。
「いててっ」
 頬をつねられてしまった。
「ぼさっとすると歩道にときたま出現するポールにぶつかっぜ?」
「ひぐひゃぁ!」
 妙な声をあげて激突してしまった。
 もちろん、ポールに、ぼくのポールが。
「だから言ったのに」
「ひぐ、ひぐ、ふげへへへへ」
 痛みながら笑う。はっきりいって――
「……気色悪い」
 まったく同感。
 心がひとつになった。あんましうれしくない。
「気色悪いのと手をつないでるのはあなた」と反撃。
「好きだもん」
 てれっと言われては反撃にならない。見事に白刃取りされてしまった。っかしいな。
「恥ずかしがりながらワンモアトーク希望」と提案。
「……うふっ」
 却下されてしまった。
 やんわりと、腕なぞ組まれて。
「先輩、ぼくってかなり不利ですか?」
「優勢ではないんじゃないのかい?」
「自覚はしますが」
「普通は惚れたほうが弱いのにね♪」
「あ、それいい、ちょっとソレ維持の方向で」
「あら、ちょっと女っぽくネカマみたいに頑張ってみているだけだけど、可愛いって思ってくれるの?」
「いいえ?」
「え?」
 どうでもいいがネカマってなんだろう?
 それはともかく……
「ブラ越しでもやっこいんもんですね」
「………」
 あ、や、先輩待った! そっちにはゴツゴツしたポールが!!
「――――ッ!!」
 声もでない。


「はい、これ」
 さんざんイチャついてみてわかったことだが、どうにもぼくは日本語勉強のために読みといたクラスランキング二位のベタベタ漫画が影響しているらしかった。
 後半はぼくが大変でしたとも。惚れたほうが弱者というのは実に正解であると経験。
 そんな楽しくも生産性はないイベントが終わり校舎に入ったところでぼくは表彰状を受け取る気分でそいつを手にとった。
「……お弁当ですか?」
「うん、そだけど?」
 あっさりと言い放ちます。
 もうちょっと初々しさがあっても罪にはならんと思う。
「自分で作ったものがあるんですが?」
「自分で作るんだ?」
「母が料理あまりできないほうなので」
「う〜ん、てっきりパン派というイメージがあってな」
 固定観念である。
 ぼくはこんななりして稲作をこよなく愛する。
 理由は天気予報のマークよりもわかりやすく、パンよりも合うからだ。海苔が。
「じゃあ交換しとこ」
 ――ちょ、ま……
「……なにこの海苔弁」
「いや、あのですね? 仮にも男性のかばんをごそごそとあさるのはあまり……」
「海苔の上にごはんがまぶされているようなお弁当というのは初めて見た。おかずは?」
「味付けです」
 海苔のおかずは味付け海苔。って、いや、そんなことよりも。
「交換するなら、後日にしません?」
「どして?」
 ――なぜか?
 理由はごくごく単純にマイ弁当は提供するべく製作されたものではないからだ。それ意外の理由はこの手にもたされた食事箱に期待する気持ちで相殺である。
 なにせごはんを一緒に食べようとしても時間が合わないし教室が離れすぎている。ぼくと彼女の学年は購買部の混雑を緩和するために設けられた時間ずらしの刑を執行されているわけで、たしかにそいつを思えばとうとつな弁当交換というのもアリだ。
 ぶっちゃけた話、とくに理由もなく一緒にいる時間が欲しいと思ったのは登校時からだったが、篭絡されたのかもともと心の奥にあったのか、いまや意味もなく抱きしめたいぐらいに可愛い。
「ごはんがふりかけな海苔弁はもらっていくぞ?」
「……はい」
 なんともまぁ、現金なものである。
 もっとも――

 このときに千春さんと弁当を交換したのは最後になってしまった。



【ヴァーサス】

1.

 見慣れた廊下で、見慣れた人間が倒れている。
「………」
 絶句。
 なにを口にすることもできない。
「目は覚まさないわ」
 後ろから話しかけてくる誰かは知った声だ。
「美夕?」
「すこしね、もらったの」
 その目線が示す先には横たわった千春さん。どう見ても正常な状態ではない。よくて昏睡状態、悪ければ死んでいる……
 わからないはずがなかった。
 ぼくは、もともと死体がコンビニエンスストアのようにめずらしくないところにいた。だからわざわざ確かめたくはない。千春さんは昏睡している。
「……もらった??」
 さっき美夕はなんといった?
「あなたはもう彼女に会うことはできないのかもしれない。でもあなたが望むのなら、彼女のもとへ案内するぐらいならできる」
「……なんの話だ?」
「気づいているのでしょう――いえ、これで出てこられない? ……神魔」
 あざ笑うような表情から一変し、美夕は睨みつけてきた。言っちゃなんだが見つめられるとかそういった気分にはなれない。
 ぼくは――影に気づいた。
「!!」
 急に背筋に寒気が走り、それがつま先に届くまえにぼくの身体がひねられていた。そこに「斬る」というものが現れる。
 ――そうとしか言えない。
 視認したわけじゃなくて、その「斬る」というなにかが通ったことだけを認識した。
 自分の四肢が力を篭めたと思った瞬間、ぼくは天井にいた。手足が吸着していて蛙にようにへばりついている。すべての行動が通常よりもはるかに早く処理されていた。
「――早いッ、ラヴァでも捉えられないなんて!?」
 ――ラヴァ? ……ラヴァだって??
「美夕、鬼門へ」ラヴァと呼ばれた仮面が動く。
「炎よ」美夕は制服から白と赤の和服に着替えた。
 美夕の腕が一閃し、それにしたがって見慣れた廊下が歪む。景色が引き裂かれて燃やされていく。
 ティッシュペーパーが消えていくように現れてくるのは「赤」だ。
「え?」
 美夕の不可解そうなつぶやきを聞いた。
「ラヴァ!! 引くわッ!」
 その彼女の判断を漠然と正しいと思えた。場を変質させようとしていた力と、ぼくではないがぼくが狙っていたものを天秤にかければとうぜ選ぶべき選択肢だ。
 そして――
「いけません、この機会を逃せばそれこそ捕まえることができない」
 ラヴァの判断も正しい。
 ぼくはようやく口を開く。
「……Where is my whereabouts?
(どこにぼくの居場所がある?)」


 ぐわりと歪んでいく。
 ぼくの通過したあとを闇が奔り火が灯る。
 町は極々平凡な夕焼けを――赤を作っていた。ぼくの身体は筋力という概念を失っていた。しかし自由だ。鳥のようになんなく空をおよぐ。
 息継ぎをするように降り立つのは誰かの家や小さいビルの屋上でそこからまた赤い空へととびこんでいく。
「はぐれ神魔よッ――クッ」
 ときおりそんな言葉の追撃がある。ぼくにはその追撃内容が理解できなかったが怖いものという本能だけがしたがっていた。
 これまで、ぼくが認識の前に彼らの攻撃を防げていた原因を理解する。ぼくはすこしの時間を飛び越えている。
 時間軸と自分の軸が複雑に交錯して事実を捻じ曲げている。
「ラヴァ、爪をあわせて」
 美夕はラヴァでなければ、ぼくを捉えられないと判断したらしい。そのラヴァは闇に溶けながらその白い仮面で威圧してくる――
「Let's burn you up?
(焼き尽くそうか?)」
「Is it a fingernail by which it tears up the fate?
(それが運命を断つ爪か?)」
 ぼくの手には対抗するための物質を召喚しようとしていた。過去、現在、あるいは未来のぼくがこれを実現する。
 そうして現れたものは
「For what is it sword?
(そちらのは剣か?)」
 ラヴァがいったように一見、剣に見える武器だった。
 青竜刀に似た曲線をもった本体は金属のように固い刃を持ち、しかし途中にもち手がついていて柄と刃の先端とのあいだには張られた糸がある。
「Different. This is a bow.
(いや、弓だ)」
 ぼくはその武器を理解するのことに忙しく、ラヴァはそのあいだ距離をつめてきた。
 いつのまにか住宅街の空を抜けてコンクリートの堤防がある川に出ている。
「――Arrow to wear water
(水を纏いし矢)」
 ぼくは弓を水面に走らせる。
 水柱が派手に上がり追従してきたラヴァへ襲いかかった。白い仮面に局所化した水圧がかかる。
 いや、違う。
「Dazzle?
(幻惑?)」
「Correct answer.
(正解)」
 背後にいたはずのラヴァは進行方向にいた。
 激突する。
 衝撃波が可視化され、水流がラヴァを覆った。
 ぼくの弓とラヴァの爪が重なる。双方が固く乾いた金属音が水面を走った。
「――Arrow to wear wind
(風を纏いし矢)」
 弓と爪が弾ける。
 一度だけではなく、激しい水柱をあげながらの格闘戦に入っていた。
 堤防の上には追いついたのか美夕がいたものの、ラヴァを巻き込みかねないから攻撃はない。周囲の状況はネガティブにならない。
「Do you think that it is possible to win?
(勝つ可能性があると思っていますか?)」
 攻防のなか、彼は問いかけてくる。
「It is trying skill.
(腕試しですよ)」
 ――幾度も交差する。
 弓についた刃と、爪だけじゃない。
 たぶん――
「Do you return in the past now?
(いまから過去に飛ぶつもりですか?)」


2.

「ルガー君、だったか」
 流麗な男はろくに食事をしていないなか、ぼくの名を呼んだ。おおざっぱな海鮮料理はあまり口に合わないのかもしれない。
 どちらかといえば英国紳士といった風情を持つ彼にしてみればそれは正しいのだろうが、ぼくは知っていた。
「人間じゃありませんよね?」
「………」
 彼は驚いていたけど、それはあまりに荒唐無稽だったからでも正解だったからでもない。そんなことは互いに知っていた。だからいまこの話をしていることが驚きだった、ということ。
「ぼくは、ぼくのなかに何かがいるということを知っています。そしてそれがぼくの記憶、身体、時間、それらを混濁させているのです。ぼく自身に融合されているようなソイツは、一個の固体と数えることこそ躊躇われるのですがあなたならなんと呼ぶのが正解かわかるでしょう?
 ぼくはあなたと会っている。あるいはこれから会うことになる。あなたはぼくを気まぐれに誘ったのだと思っているのだろうけど、実のところ出来レース。あなたは運命を断つ爪を持つけど、逃れられるすべはなかったってことでしょう」
「知っていた、というのは正確ではありませんね?」
「はい、いま、ぼくはあなたと再会のうえ戦っている最中なのです」
「望むことはありますか?」
「……いまは望めませんが、過去、いま、あるいは未来にぼくはあなたに消していただきたい――自殺を依頼したいのです」


「Do you return in the past now?
(いまから過去に飛ぶつもりですか?)」


「No. I will return at once.
(すぐに戻ります)」



3.

 この町の中央にある高い三つビル(通称:三高{みたか}ビル)がそびえたっているそこはまさしくチャペルのようだった。
 祈る場所でもあり、懺悔する場所でもある。すくなくとも罪を深める場所じゃない。
 そのチャペルのステンドグラスは鏡のようにぼくを映している。ビルの壁面、窓がすべて鏡として存在していた。
 ようやくだ。
 ……にしても――
「あのぬいぐるみは?」
 ひとつの鏡に写っている――いや、そこに居るのか――不可思議な生き物はどう見ても自然界で存在できる動物ではない。小動物といってもいい容姿のくせに牙も爪もなさそうだ。
「死無――鏡や空間にくわしい神魔です」
 ぼくの質問に答えたのは背後にいるらしいラヴァだった。たぶん美夕もいることだろう。
「……あなたは時間をとんだことで神魔に対抗できた……そういうことなのかしら?」
 どうだろうか? それはわからない。
「彼は人でありながらすでに人の精神ではなかった。その状態に自ら変化をとげた人間を、神魔が侵食することはない。もともとこの場に追い込むには私では力不足だったし厳密にいえば神魔であっても、はぐれ神魔となっているわけではない。生まれはわからないわけですから……」
「日本神魔でもなく、西洋神魔でもない――か」
 美夕とラヴァはそれぞれぼくを定義づけようとしているが、それは誤りだ。美夕にラヴァ、そして死無と神魔はあらゆる存在がなりえる種。推測されるべきはぼくのなかにある時間を越える力ではない。
 あえてそこを語るとするなら、ぼく自身は、
「そもそも生まれているかどうかはわからない。神魔の生まれかたを、ぼくは知らないけど、ぼくのなかにあるなにかが神魔と呼ばれても差し支えない存在であることは知っていても、それが成体であるかは知らない。成長という概念があるかどうかはわからないが、あえていえばそれらを犠牲することでぼくのなかのなにかは時間を越えていたんだ。だからぼくはラヴァに望むことにした」
 という事実しかない。
「どうして彼女を巻き込んだの?」
 美夕は千春のことをいっているのだろうか?
「彼女は近いうちに君が消えることがわかっていた。君が人じゃないということを知っていた。それでも近づこうとして、それで君はなにをしたの?」
 ……本当なら、美夕の言いたいことのように関わらないよう完全に切るべきだったんだろう。それが正しい。疑う余地などない。
「美夕――彼は、そうでなければならなかったのです」
「………」
「おそらく、精神がもっと弱ければ彼のなかの神魔は確固たる自我をもち心の闇を食らい尽くし、次の人間へと渡ったことでしょう。したがって彼は自分を人間だと思い込む必要があった。そして同時に人じゃないのだと意識し続けるしかなかった。彼が私に頼んだことは、人、いえ、神魔も同じくひとつの意思が長い時間同じ想いを抱える困難さを感じていたからでしょう」
「……そうね」
 美夕は、どうやらぼく以上に大変だったのかもしれない。ぼくは時間を越えるごとに記憶がその影響を受けてしまう。忘れることはあっても思い出してしまう。時間を越えたらリセットされるわけじゃないし、すべてが残るわけでもない。
 ぼくは、たぶん都合の悪いことは忘れてしまったのだろうが、美夕にはそんなものはない。
 時系列を順繰りにしてしまえば、ぼくはぼくを維持できなかったはず。
 だって、ぼくは――
「自分で乗り越えることはできなかった。いまだってそうなんです。ぼくは千春さんを……」
「……ラヴァ、後は任せるわ」
「はい」
 美夕は炎に巻かれて去っていった。
 死無の能力で覆われた場で、ぼくはようやく時間を越える力と分離することができた。
 正確には分離してはいない。写っているだけだ。
 ――ぼくが。
「あれを射る――それは自殺と変わらないが、君が望んだこと」
「わかってる」
「……このことを、君は知っていたのですか?」
「――いや、知らない。経験はしていないし見てもいない……神魔の力は関係なくて、ただの人の予想ですよ」
「もはや君はただの人ではありえない。ならばこそのこの状況でしょう」
「……感謝します。あなたの爪に断たれなかったのはいささか残念ではありますが」
「どのみち私の爪では回避されてしまう。回避されないためには君自身で行うしかない」
「――美夕は、あなたが断つのでしょう?」
「そうだ」
「……あなたのこころはそれができますか?」
「……sure.
 Removing on purpose did not cut off the fate.」


「――Arrow to wear fate
(運命を纏いし矢)」


 ――すでに的(ぼく)を射た手ごたえがあった。
 指のなかで静止する羽根はどこか嘲笑っているようで、その芯が同調していた視覚を騙す。
 成功予測――
 それがひどく高い精度だったのは、訓練の賜物と思いたいところだがそれは間違っていた。

『わざと外すことは運命に勝ったことにはならない
 Removing on purpose did not cut off the fate.』

 ゆえに――






epilogue.

 元気、とは言いがたいが弓道部にはいまも変わらず部長が指示を出している。袴姿ではなかったが、それは部長の引継ぎがこのあとに控えていたからだ。
「……彼女は無事だったのですね」
「ええ、おなかは空いていないもの。喉は渇くけれど」
「すみません」
「謝られるのは、ひさしぶりね」
「そうでしょうか?」
「普段は行動であらわしてくれるもの」
「………」
「……うふふ、そう、こんな風に」

 美夕の腕がラヴァに絡みつく。
 外套がその少女の身を引き寄せると仮面の陰で重なった。
 首筋と、少女の牙はしばらく離れず闇色の外套のなかで、爪が白装束を強く抱きしめた。




――END


     MUESUM ERIPMAV